大阪体育大学テニス部男子監督の宮地弘太郎教授が、7月にドイツで開催されたFISUワールドユニバーシティゲームズで、テニス日本代表男女総監督?男子監督を務め、チームは男子シングルス、女子ダブルス、男女混合ダブルス、男子団体、女子団体の5種目で金メダルを獲得しました。
ワールドユニバーシティゲームズは主に大学生が参加できる国際的なスポーツ大会。テニスは正しくは、40か国?地域が出場し、日本選手団は代表選手選考の規定により選出されたメンバーが出場しました。

アメリカ在住の日本代表選手と宮地教授
宮地教授はスポーツ科学部でゲーム分析、パフォーマンス尺度の検討、テニスの実技を専門に指導しています。宮地教授に、現地での活動や盛り上がりを聞きました。
――日本代表監督に選出された経緯は
ワールドユニバーシティゲームズは2年に一度開かれます。以前にも代表監督に選出されたことがあり、その実績を買われたのだと思います。今回は男女の総監督と男子監督を兼務しています。
――選出されたあとの事前準備は
出発前に東京の味の素ナショナルトレーニングセンターで日本代表選手たちが事前合宿をするので、そこで視察、指導しました。男子選手は私自身が選考に関わった学生で、大学生のトップ選手を集めているので、指導についても気を使いました。
――どこに気を使いましたか
今回は他大学の選手を預かる身ですし、ある程度完成された選手を集めているので、技術的な指導はあまりしません。ただし、選手の動きを観察し、どうしても気になる部分はしっかり話し、アドバイスすることを心掛けました。海外での活動は日本と異なることも多いので、選手達のモチベーションを支えることが大事だと思いました。
――現地の会場は
今回の大会は世界的に見ても権威の高い大会でした。ウインブルドン?ジュニアで優勝した選手が出場するなど世界のトップで活躍する選手たちの登竜門となる試合です。
テニス会場はドイツ西部のエッセンという街で、観客収容人数が約1500席のETUFテニスサークルでした。会場にはアメリカの大学関係者を中心に、日本選手をスカウトに来ていました。
選手たちは、卒業後もテニスで選手活動を続ける学生なので、海外での試合は貴重な経験となります。会場によってコートの種類も変わり、それによりボールの動きも変わります。今回は土のコートでしたが、同じ土のコートでも国によって素材が違い、それがプレーに影響します。また、英語も重要で、審判の注意や事前のルール説明など、理解できていないと致命的なミスにつながるので、日本での試合とは違った緊張感があります。

会場付近
――現地での活動は
ホテルから朝7時40分ごろ、バスで会場に向かいます。トレーナーとともに選手の様子を情報共有し、試合前のウォーミングアップで選手の練習相手を務めます。彼らは完成された選手なので基本的には求められない限り、技術的な細かいアドバイスはしません。試合終了後にホテルに帰ると午後8時ごろとなり、その後また選手の練習相手を務めます。
その他は、私の選手時代の経験を元に、年間ランキングのポイント獲得につながる大会やその会場での出来事など、選手達のモチベーション向上につながる話をしていました。

選手の練習相手を務める宮地教授
――選手の様子は
スイス、韓国の選手と一緒に練習していましたが、言葉が通じないながらもたくさん話そうとしているようでした。仲良くなって片言の英語で話していることもありました。
印象に残っているのは、今回の選手の中に私の選手時代の仲間の息子で、日本国籍ですがアメリカ在住で現地の大学に通っている学生がいました。英語しか話せませんでしたが、この大会に向けて3カ月間日本語を勉強してきたそうで、他の選手たちと積極的に日本語で話そうとしていました。また、他の選手も彼から英語を学ぶなど、お互いにとって刺激的な生活だったようです。最終日のミーティングで彼は日本語であいさつし、短期間で語学が上達した様子でした。
――食べ物や生活は
いつもは選手村ですが、今回は競技ごとにホテルが指定されていて、世界各国のテニスチームが同じホテルに泊まりました。試合会場が130年続いているテニスクラブで、クラブ内で食事もでき、私は食事面では不満が溜まることはありませんでした。選手たちはどう感じたかは分かりませんが、テニス選手は世界各国で転戦し食事が思うように摂れずストレスになることもあるので、こういった部分も経験して良かったと思います。気温が18~20度前後で涼しく治安面も問題ないので快適な生活環境でした。

試合会場
――印象に残っているシーンは
男子ダブルスはメダルに届きませんでしたが、あと1ポイントで銅メダルだったので、悔しい気持ちはあります。でも選手たちが活躍し金メダルをたくさん取ってくれたので、うれしい気持ちの方が大きいです。
個人的にうれしかったことになりますが、約30年前、私が16~17歳の時にオランダを中心にヨーロッパを転戦していた時の選手仲間と偶然、会場で会いました。彼は現在、ドイツでテニスアカデミーや飲食事業を経営しているそうで、自分が指導するジュニア選手の試合の帰りに立ち寄ったそうです。そして、先ほどお話しした日本国籍でアメリカの大学へ通っている学生を、彼は子供のころに指導していたことも知りました。
SNSではつながっていましたが、再開するのは約10年ぶりで同じ選手を指導した縁もあり、本当にうれしい出来事でした。
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